以下は、雑誌「スイッチ」94年11月号に掲載された、佐々木直也氏によるインタビュー記事の抜粋です。
先生の人柄が良くうかがえる、と思い、著者の方には無断ですが、転載させていただきました。
佐々木直也さん、感謝致します。失礼をお許し下さい。
鈴木 清 「修羅の圏--FINISH DYING」 
| 鈴木 清は1943年、福島県いわき市に生まれた。父親は坑夫として炭鉱に働き、母親は女工として紡績工場に出ていた。鉱区に育った彼は地元の高校を卒業後、漫画家を目指して上京。その後、たまたま買ったカメラから写真の魅力に引かれ、東京綜合写真専門学校に入学。 中略 今月、彼の七冊目にあたる写真集が出版された。 中略 全体で四部からなる写真集は、まず60年代後半の活気のあった重内、歌志内といった炭鉱の光と陰に始まる。そして母親が働いていた墨田区の鐘ヶ淵紡績工場跡地から祖父が渡り歩いた足尾、さらに北上へと<記憶>の道のりを遡ってゆき、最後に渓流の流れにのってまだ見ぬ未来の記憶へと邂逅をとげていく---かのように見える。 「もちろんそれもひとつの軸ではあるけれど、そんなに生真面目なものでもないんだよね。」 鈴木はそう笑う。「もっと遊びというか、僕の楽しんだ時間の重なりですよ。デザインをやるのも楽しみだし。ここの明朝の文字は僕自身の語りでね。マルグリット・デュラスを読みながら、ああこういう発話もいいなと思って入れちゃった。他にも章ごとに短いコメントを入れたし、最後に解説まで自分で書いた。でも文学趣味なんかじゃないんですよ、ただ活字を叩き打つ音が欲しかった。写真で記述するスピード感を視覚的に、しかも音として見せたかっただけ。凝り過ぎかもしれないけど、そんな調和や違和感をおこさせるためのレトリックを張りめぐらしたのは、それはね、他でもない僕自身のための遊びなんですよ」「だから気まぐれな彷徨、いやうつろいですよ」といって下を向く。 その明るく茫洋とした間に、彼の作品に何度も引かれてきた金子光晴の詩を思った。 <洗面器のなかの/さびしい音よ。/くれていく岬の/雨の碇泊。/ゆれて、/傾いて、/疲れたこころに/いつまでもはなれぬひびきよ。/人の生のつづくかぎり/耳よ。おぬしは聴くべし。/洗面器のなかの/音のさびしさを> 「うん、あの感じ。ただボーッと空を見てるだけで幸せになったり、洗面器ひとつの中からだっていろんなことが語れる。そんな感覚を、だから僕は写真で記述したかった。物語りじゃなくてね、瞬間瞬間の断片を集めた書物というか、記憶のあくまでも断片をスライドさせたかったのね。」 そういうと、僕はマンガを書いていたときもストーリーにはまったく興味がなくて、ナンセンス専門。一コマや四コマばかり描いていたんですよと笑った。 「ストーリーのない断片の集まり。その不思議なつながり方にいちばん魅かれるの。偶然とか思いつきで結び合わせていくと、そこに思いもかけない意味や道筋が浮びあがってくる。写真集のデザインをしているときはね、いつもダミーを持ち歩いて、電車の中や喫茶店でその日その日の瞬間の気分であれこれと手を加え並びをいじった。どういう流れにしよう、関係はどうしようか、ここで意味あり気な振りをして・・・ここに仕掛けをしてって。そうした作業が僕にとっては必要なんです。その作業に費やした時間を写真集の中にパンパンに押し込んで、それで終わり。それからまた次の旅ですよ」 だからタイトルをベケットに倣って「死に切り(フィニッシュ ダイイング)」としたのですか。そう言葉を向けてみると、案の定、「いやあ、何となく恰好いいでしょう、この言葉って。字面もぴったりだし」と軽くいなされた。「つまりね、写真ってのは夢みたいなものですよね。自分の夢は他の人には見せられないし、説明するのも難しい。ましてその意味を紐解くなんて無理ですよ。それこそナンセンスの塊だし。でもね。そこには何ていうか、ニュアンスがある。瞬間だけで結びついているあの感じ。僕の写真は、写真集はだからそんな夢の破片なの」 そういって、ロバート・フランクに書いてもらった題字を指でなぞった。 「写真集を見ると、まるで僕は流れ者みたいですよね。でも全然そんなことはない。明らかに定住者ですよ。子供を学校に上げなくちゃいけないとか、家族を養わなきゃとか、看板書きも不況の煽りを喰ってますよ。だからこそその反動として山頭火になりたいし、金子光晴のように流れもしたい」 変わり、歩き去る先にあるもの。その答えを見続けてきた彼は「憧れですよ、僕が写真をとるのは」と穏やかにいった。「七冊の写真集はすべてその残り滓。意識だけは今もずっと先の方を流れていて、その小っぽけな澱だけが世に印刷されていくんです」 |